「三田評論1月号」に理事長西川充の「日本舞踊と私」が掲載されました
「日本舞踊と私」
「見て!見て!」と、家族の面々にやかましく要求し、テーブルの上で得意気に踊っていた幼い頃。日本舞踊を習いに行っては、外股になると叱られ、バレエを習いに行っては、内股になると叱られながら、来る日も来る日も踊っていた学生時代。いつもいつも音楽が鳴り出すと、種類は色々でしたが、じっとはしていられず踊り出していました。 どのようにしたら私は踊り続けることができるだろう?-これが私の日吉・三田の塾生時代の大きな悩みでした。父は、日本舞踊をずっと続けたいという私に、「芸妓さんになるか二号さんになるしか道はないよ」と、そっけなく答え、猛反対しました。それでもしつこく、何とか踊り続ける道はないかと悩み、とりあえず、永く踊り続けられる日本舞踊を選択することにしました。でも、一生孤独に耐えて頑張り続けるだけの根性が自分にない、と思い家庭を持とうと決めました。家庭の理解を得るために、日本舞踊を仕事としなければならないと考え、踊りの「おっしょさん」になる決意を固めたのです。
ところが、自分の育った世界とはあまりにも違うので、わからないことだらけ。苦労の連続でしたが、家事よりも断然踊ることの方が好きだったので、このくらいの苦労は当たり前と、水に流して来ました。そしていつのまにか、京都・東京・大阪で教える日々となり、去る11月4日に去る11月4日には京都祇園甲部歌舞練場で「第22回西川充りさいたる」を開催させていただくことができました。
「好きだということが一番!」とずっと考えてきたのですが、「好きで踊っているだけでは人に訴えるものがないよ!」とアドバイスして下さる方がありました。そのアドバイスに応えるだけの能力が自分にはあるかどうかわからないし、このままやり続けることに対して不安を感じていたのですが、一昨年、平成23年度文化庁芸術祭優秀賞を受賞。素晴らしい賞をいただいたことにより、こんな私でもやればできるのだという自信がつきました。
一つの道を辿り続けると、その道から色々な脇道へとつながり、世界が広がって行きます。前回のりさいたるで、樋口一葉の作品を採り上げましたが、これを機に東京・浅草の一葉記念館を訪ね、彼女の作品を読み、映像を見て、私なりに一葉の世界に触れることができました。また、りさいたる後、秋篠宮様ご臨席の下、京都例会交流会で踊らせていただくことになったのですが、生き物文化誌学会の交流会なので、邦楽だけではなく洋楽も使ってみようと考え、日頃は聞くことのない洋楽の世界にも少し触れることができました。日本舞踊というひとつの道ながら、それが色々な道へと拡がっていきます。言うまでもなく、次世代への継承という道にも広がって行きました。
年々、日本の文化よりも欧米の文化に人々の興味が向かい、日本の文化が忘れ去られて行くように思われます。バレエを習う子供達に比べると、日本舞踊を習う子供達はほんの僅かで、そればかりか、日本舞踊を観たことのある人は大人でも少ないのが現状です。単に日本舞踊にとどまらず、とにもかくにも着物や茶道の文化を、より多くの方々に知ってもらわなければならないと考え、2003年にNPO法人京都文化企画室を設立しました。着物を着ると男まさりのような女の子も驚くほどしとやかになり、また、男の子は凛々しくなり、とてもいい笑顔を見せてくれます。日本舞踊や茶道の体験では、はじめての人が多く最初は戸惑いがちですが、とても熱心に取り組んで下さいます。その光景を見るにつけ、日本の文化に興味を持ち、その素晴らしさを認識する様子が理解できるようになりました。
日本舞踊ばかりでなく日本の文化が次世代の若者へ、さらに、日本に限らず、世界中の若者へと拡がっていくことを願ってやみません。毎日の活動が、僅かながらでもお役に立っているのではないかと信じ、今、こうして私が日本舞踊家になった幸せを、実感している今日この頃です。
三田評論1月号(慶応義塾大学出版会)より
日本舞踊協会会員
西川流評議員
NPO法人 京都文化企画室 理事長
塾員
西川 充